April 21, 2012.
そうだ! いきなりバンコクへ行こう!
ラオスに約2週間滞在した後、そろそろ次の国、タイへ移動しようと、ある日起きてなんとなく決めた。まだまだラオスは見飽きたわけではないし、近いうちにもう一度訪れてみようとは思う。だが、とにかく食文化の貧しいラオスを少し休憩したいと思った。タイへ行けば、きっと旨いものが食べられる! グリーンカレー、トムヤム、ヒアー・アイ・カム!!
ラオスのタケックから、バスでメコン川を橋で渡ったさっきがもうタイだ。バスに乗る前に、バス停でラオスのお金を使い切ってしまおうと、いりもしないものをたくさん買ったのはいいが、出国の際にお金がいるみたいで、少し面食らった。
「お金がないです」と言うと、タイバットでもいいと言われたが、残念ながらタイバットもまだない。通してもらえないんじゃないかと心配だったが、結局は無料で通してもらった。ありがとう!いりもしないものを買って得した!
タイ側まで行ったのは良いが、びっくりするほど何もない町で、重いバックパックで町をふらふらしていると、こんなところで一泊したくないという心境がどんどん強くなった。そこには誰もいなく、何もなかった。この際、とりあえず一度バンコクまで行ってしまってもありのでは!? しばらく大都会に来てないし、そろそろ人混みが懐かしくなってきた頃だ。
そうくれば、とりあえずはバス停まで戻らなければならない。そこにはスーツケースを転がせているサラリーマンがいた。タイ人の顔をしているが、本人曰く自分はオーストラリア人らしい。まあ、大変結構ではないか。彼は今からラオス側へ行こうとしているらしかった。
「ここから、バンコク方面へ進むにはどうしたらいいんですか?」と訪ねてみると、それならとりあえずコンケーンまでのバスに乗って、明日また旅を続けるといいらしい。
そうやって、僕はとりあえずコンケーン方面のバスに乗って、夜遅くに到着した。
それは大分にぎやかな町で、屋台が多く出ていた。ここならまあ、一泊くらいしてもいいだろう。あたりで安めのホステルを見つけて、夜遅くまでNHKWorldのニュースを見ていた。ニュースを見るなんて、何ヶ月ぶりだろう・・・・・・。
翌日はすぐにまたバス停まで行き、今度はバンコク方面のバスに乗った。この日もバスに乗るだけで終わったわけだ。どういうわけか間違えて高級バスに乗ったみたいで、可愛いサービスガールが水とおやつをくれた。この水と美味しくもないクッキーのせいで、きっと倍くらいの値段を払っているのだろうが、まあたまにはこういうこともある。
休憩場のコンビニをじっくりと見てみた。どんなものを売っているのだろう。もち米バーガーなんか美味しそうじゃないか。ちなみにタイにはセブンイレブンが多いようで、その意味でもラオスよりは大分進化している様子が伺える。
8時ごろにやっとバンコクに到着した。市内は車が大混雑して、着いてからバス停までたどり着くのにさらに一時間少々かかった。さすがは大都会。人混みもすごいようで、発展途上国っぽいめちゃくちゃな雰囲気が漂う。こういうの、結構好きだ。
前もって調べたホステルまでローカルバスで行った。久しぶりの大都会を眺めながら、一種の安心感に浸かった。旅人にとって、たまにはたくさんの人々が行き交う大都会に来てみないと、世の中がまだ動いているということをついつい忘れてしまう。
バス停で降りてから、ホステルを探しながらバックパックを背負いながら長い時間歩いたが、どうしても見つからなかった。僕という人間はまあまあのできだと思うが、方向音痴なところだけはどうにもならないようだ。途中で英語の流暢なタイ人に「大丈夫ですか」と訊かれ、一緒に探してもらった。優しく微笑む親切そうで小柄な人だった。さすがは微笑みの国、タイだ。男のおかげで無事にホステルを見つけて、久しぶりに楽しそうなホステルに来た。値段がネットに書いてあったのよりも倍くらい高いのは少し参ったが・・・・・・まあ一晩くらいは仕方ない。明日になったら、また移動しよう。
I started my trip on August 25, 2011. I will travel around the world for about one year. I am not going to plan anything, but I won't make use of airplaines, and will travel only by boat, bus and train. I shall try to write a blog at least twice a week. I will write them in English, Japanese or Dutch. I might also write stuff not related to my trip, concerning literature, video-games, movies or even something completely different instead.
Old blog archive!
Due to a lack of storage, I changed my blog site as of March 30, 2012. Posts of before this date can be found on my original blog http://www.world3languages.blogspot.com
容量の問題が発生したため、3月30日よりブログURLを変更しました。以前の記事をhttp://world3languages.blogspot.com でご覧になれます。
今後とも「3ヶ国語で世界一周」をよろしくお願いします!
容量の問題が発生したため、3月30日よりブログURLを変更しました。以前の記事をhttp://world3languages.blogspot.com でご覧になれます。
今後とも「3ヶ国語で世界一周」をよろしくお願いします!
2012年4月23日月曜日
2012年4月20日金曜日
スイカと大雨
April 19, 2012.
スイカと大雨
旅立ってから、バイクに乗る機会が多くなった。というか、旅立つ前はバイクに乗ったことなんかなかったし、旅立ってからもずっと無免許で乗っている。最初の方は何回か事故ったこともあったが、少しずつ慣れてき、今ではギアも変えられるほど上手になってきた。
とはいえ、一人でバイクで出かけたのは今回が初めてだった。宿でバイクを借りて、タケック周辺の自然風景や洞窟を見てこようと思ったわけだ。
ところが、走り出したのは良いが、ガソリンスタンドまで行くと「ガソリンがない」と断られてしまった。ガソリンのないガソリンスタンドなんて初耳だった。じゃあ、あんたたちそこで何してるんだ、とでも聞きたくなった。もう一件を訪ねても同じで、心配してきた。町中がガソリン切れになっているのではないだろうか? 幸運なことに、3件目のガソリンスタンドにはまだ少しガソリンが残っていたらしい。分けてもらえて感謝!
バイクを走っていると、急に後ろから声をかけられた。以前に洞窟の村で同じ宿に泊まったフィンランド人とアメリカ人だった。川沿いに日向ぼっこしてくるから、よかったらあとから来ないか、ということらしい。スイカもあるよ、とも。
彼らと合流する前に、僕はまず一人で「仏陀洞窟」を目指して出発した。ところが、違う道に出てしまい、ど田舎の村までたどり着いてしまった。未舗装の道沿いに、弥生時代を思わせる家々が建ち並び、通り過ぎると小さな子どもたちが何かを叫んだり犬が吼えたりした。道を間違えてよかったと思った。こんなにもローカルな村もめったに見られない。
仏陀洞窟 は大したことではなかった。階段を昇って上から入るのだが、小さいし、たくさんの仏像がたっているだけだった。だが、洞窟までの道のりは絶妙だったので後悔はなし!
その後は友人らと合流することにし、 川沿いに彼らのバイクがとめてある場所を探した。とても静かなところでハンモックの上で気持ちよさそうに寝ていた。よくもこんなところにハンモックなんてあったなと思ったが、わけを聞いてみると自分たちで持ってきたものらしい。かなりのんびりたがりの二人だ!
僕はハンモックもないし、二人はまだスイカを食べる素振りも見せないので水着に着替えてから川に飛び込んだ。大分浅い上、川の中には見えない岩がたくさんあり、何度か足をぶつけたが、まあハンモックで何もしないよりはいいだろう。
また陸に上がると、3人でスイカを食べた。僕は払っていないのに、一番たくさん食べてしまった。少しお金出すよと言うと、二人は笑った。
「このスイカ、いくらだったと思う? たったの50円だよ!」
雨が急に降り出し、強い風が吹いた。ラオスでこんな天気もめったに見られない。雨はどんどん酷くなり、そろそろ帰らないとやばいかもということで急いでバイクに乗った。二人はすぐ近くのホステルに泊まっていたが、僕の宿まではまだ20キロくらいあった。バイクを高速で走っていると、雨の粒が刺さるように痛かった。目もほとんど開けていられないし、開けたところで吹き上がった埃のせいで何も見えない。30分前までこんなに平和だった美しい景色が、急にこんなにも変わってしまうとは。
夜は一度雨が止み、宿を出て近くのネットカフェに入った。だが、ブログを書いていると急にまた雨が降り出した。しかも、今回は本当に台風並みの振り方だった。こんなに雨が激しく降るのを見たこともないくらいだった。女性の叫び声が聞こえた。ネットカフェの人はみんな立ち上がり、外を見ていた。僕はかまわずブログを書き続けようと思ったが、急にネットがつながらなくなった。店員にわけを聞いてみた。
「今日はもうダメだよ。今さっき電柱が倒れたんだ」
そうですかぁ・・・それじゃあ、おやすみなさい!
スイカと大雨
旅立ってから、バイクに乗る機会が多くなった。というか、旅立つ前はバイクに乗ったことなんかなかったし、旅立ってからもずっと無免許で乗っている。最初の方は何回か事故ったこともあったが、少しずつ慣れてき、今ではギアも変えられるほど上手になってきた。
とはいえ、一人でバイクで出かけたのは今回が初めてだった。宿でバイクを借りて、タケック周辺の自然風景や洞窟を見てこようと思ったわけだ。
ところが、走り出したのは良いが、ガソリンスタンドまで行くと「ガソリンがない」と断られてしまった。ガソリンのないガソリンスタンドなんて初耳だった。じゃあ、あんたたちそこで何してるんだ、とでも聞きたくなった。もう一件を訪ねても同じで、心配してきた。町中がガソリン切れになっているのではないだろうか? 幸運なことに、3件目のガソリンスタンドにはまだ少しガソリンが残っていたらしい。分けてもらえて感謝!
バイクを走っていると、急に後ろから声をかけられた。以前に洞窟の村で同じ宿に泊まったフィンランド人とアメリカ人だった。川沿いに日向ぼっこしてくるから、よかったらあとから来ないか、ということらしい。スイカもあるよ、とも。
彼らと合流する前に、僕はまず一人で「仏陀洞窟」を目指して出発した。ところが、違う道に出てしまい、ど田舎の村までたどり着いてしまった。未舗装の道沿いに、弥生時代を思わせる家々が建ち並び、通り過ぎると小さな子どもたちが何かを叫んだり犬が吼えたりした。道を間違えてよかったと思った。こんなにもローカルな村もめったに見られない。
仏陀洞窟 は大したことではなかった。階段を昇って上から入るのだが、小さいし、たくさんの仏像がたっているだけだった。だが、洞窟までの道のりは絶妙だったので後悔はなし!
その後は友人らと合流することにし、 川沿いに彼らのバイクがとめてある場所を探した。とても静かなところでハンモックの上で気持ちよさそうに寝ていた。よくもこんなところにハンモックなんてあったなと思ったが、わけを聞いてみると自分たちで持ってきたものらしい。かなりのんびりたがりの二人だ!
僕はハンモックもないし、二人はまだスイカを食べる素振りも見せないので水着に着替えてから川に飛び込んだ。大分浅い上、川の中には見えない岩がたくさんあり、何度か足をぶつけたが、まあハンモックで何もしないよりはいいだろう。
また陸に上がると、3人でスイカを食べた。僕は払っていないのに、一番たくさん食べてしまった。少しお金出すよと言うと、二人は笑った。
「このスイカ、いくらだったと思う? たったの50円だよ!」
雨が急に降り出し、強い風が吹いた。ラオスでこんな天気もめったに見られない。雨はどんどん酷くなり、そろそろ帰らないとやばいかもということで急いでバイクに乗った。二人はすぐ近くのホステルに泊まっていたが、僕の宿まではまだ20キロくらいあった。バイクを高速で走っていると、雨の粒が刺さるように痛かった。目もほとんど開けていられないし、開けたところで吹き上がった埃のせいで何も見えない。30分前までこんなに平和だった美しい景色が、急にこんなにも変わってしまうとは。
夜は一度雨が止み、宿を出て近くのネットカフェに入った。だが、ブログを書いていると急にまた雨が降り出した。しかも、今回は本当に台風並みの振り方だった。こんなに雨が激しく降るのを見たこともないくらいだった。女性の叫び声が聞こえた。ネットカフェの人はみんな立ち上がり、外を見ていた。僕はかまわずブログを書き続けようと思ったが、急にネットがつながらなくなった。店員にわけを聞いてみた。
「今日はもうダメだよ。今さっき電柱が倒れたんだ」
そうですかぁ・・・それじゃあ、おやすみなさい!
2012年4月17日火曜日
The Englishman I never knew.
April 15, 2012.
The Englishman I never knew.
Backpackers meet each other and become lifetime friends. But don't think that once you go separate ways you won't see them again on your travels. In the last 7 months, I have coincidentally bumped into old backpacking friends several times. Especially in a fairly small country like Laos that has only a small amount of backpackers, you will see familiar faces all the time.
But what happened to me with a certain Englishman simply cannot go without being mentioned. It is for sure a new record on accidentally bumping into Englishmen in Laos.
In Vang Vieng, Laos's party town, I was looking at a game of billiard between my Spanish friend and a tall wide guy with a huge beard. It was a close call, but my friends opponent was a skilled player and ended victorious.
"Nice one mate" he said to my Spanish friend.
After that, I moved on to the capital, Vientiane, together with my Japanese friend Shinji. While walking the streets, I suddenly saw the tall wide guy with the beard passing, walking together with his girlfriend.
"Hey!" I said, but he didn't seem to remember me. "I saw you in Vang Vieng"
"Oh yeah, that's true! Good to see you again" he said. But he didn't really seemed interested.
At the end of that week, I moved to a small village located near a cave with Shinji. In the evening, while waiting for our food at the village's only eatery, I suddenly noticed that the tall wide guy with the beard entered the restaurant. There he was again.
"We meet again!" I said.
"Yeah, it seems like we're doing the same trip huh!"
He told me he was British. But this time too, there was no time for a real conversation.
The next day, me and Shinji explored the cave, and after staying one more night, we parted ways the next morning. I headed by bus for a city called Thakhek. I arrived late in the night, and headed downtown by a took-took from the bus station. I was too tired to search for a local bus. While driving through the streets of Thakhek, I suddenly saw a familiar face walking the streets. Yes, it was that same Englishman again! He didn't see me, but that didn't really matter anymore. The fact that I saw him again was more than enough.
The Englishman I never knew.
Backpackers meet each other and become lifetime friends. But don't think that once you go separate ways you won't see them again on your travels. In the last 7 months, I have coincidentally bumped into old backpacking friends several times. Especially in a fairly small country like Laos that has only a small amount of backpackers, you will see familiar faces all the time.
But what happened to me with a certain Englishman simply cannot go without being mentioned. It is for sure a new record on accidentally bumping into Englishmen in Laos.
In Vang Vieng, Laos's party town, I was looking at a game of billiard between my Spanish friend and a tall wide guy with a huge beard. It was a close call, but my friends opponent was a skilled player and ended victorious.
"Nice one mate" he said to my Spanish friend.
After that, I moved on to the capital, Vientiane, together with my Japanese friend Shinji. While walking the streets, I suddenly saw the tall wide guy with the beard passing, walking together with his girlfriend.
"Hey!" I said, but he didn't seem to remember me. "I saw you in Vang Vieng"
"Oh yeah, that's true! Good to see you again" he said. But he didn't really seemed interested.
At the end of that week, I moved to a small village located near a cave with Shinji. In the evening, while waiting for our food at the village's only eatery, I suddenly noticed that the tall wide guy with the beard entered the restaurant. There he was again.
"We meet again!" I said.
"Yeah, it seems like we're doing the same trip huh!"
He told me he was British. But this time too, there was no time for a real conversation.
The next day, me and Shinji explored the cave, and after staying one more night, we parted ways the next morning. I headed by bus for a city called Thakhek. I arrived late in the night, and headed downtown by a took-took from the bus station. I was too tired to search for a local bus. While driving through the streets of Thakhek, I suddenly saw a familiar face walking the streets. Yes, it was that same Englishman again! He didn't see me, but that didn't really matter anymore. The fact that I saw him again was more than enough.
2012年4月15日日曜日
On the way to Thakhek
April 14, 2012.
On the way to Thakhek.
While staying at a village in the middle of nowhere completely away from society, I realized that I had no cash on myself. Of course, the village had no bank. Now how was I going to get back to the world without being able to pay for the bus!?
Luckily though, I met a group of backpackers who were traveling on bikes. They said they would take me on their back. When I told them that I have a huge backpack of at least 20 kilogram and a paddle on me, they seemed to regret their kindness. But, once nice, always nice. Thank you guys.
By the way, in the end I was able to exchange money with a local guy. He was a big money collector, and was very delighted to see all the currencies I had in my wallet. Japanese Yen, Euro's, Taiwanese Dollars, Chinese Yuan, Korean Won. In the end the guy chose for Euro's. It always feels good to have some money on you again and make someone happy at the same time!
But, even though I now had money on me, the backpackers were still friendly enough to take me on their back anyway. One of them took me with my paddle in my hands, another one took my backpack. It looked pretty tough to have that backpack on your back while driving, but the guy said it was nothing.
We started our journey at around 1 o'clock. At first there seemed to be no problem. While enjoying the magnificent scenery (mountains, rivers, locals, cows, dogs) I had a talk with the American guy who was riding the bike. But soon, it started to rain and far away we could hear and see huge thunders. The guy who was carrying my backpack told me that it was heavier than he had expected, and that he was not able to steer very carefully with the thing on its back. Thus, the backpackers decided to drop me off at the next small town. There was a bus stop there, so I could take the bus.
I was heading to a place called Thakhek, and asked the guy at the bus stop when my bus would arrive.
"Tomorrow!" the guy said.
Great, now I have to stay all alone in this village with nothing to do for one whole more day. I didn't want to give up. With my backpack, I walked the roads in hope to find a good place to hitchhike. But no luck. Around this area, hardly any cars pass by, and if they do, they do so to drive just around the corner, not to go all the way to 200 kilometer far away Thakhek.
I walked back to the bus stop. A guy was sitting there, apparently waiting for a bus to come.
"Where are you going?" he asked me in decent English.
"Thakhek"
"Then come with me, I am heading there too."
Although there was no bus to Thakhek, the guy explained that there was a small bus heading towards another town, and that we could change to Thakhek from there.
It was a friendly guy who seemed well educated. He was working in this town as an accountant (it surprised me accountants exist in a place like this), but he was originally from a small town in the south. Thakhek is on the way there.
When the bus arrived, it turned out to be no bus. It was just a Took-took. But that didn't matter as long as it took us to where we had to go! On the way, some guys joined and took their motorcycle on board.
There was now hardly any space left to sit and we would all have to hold the bike to prevent it to fall.
Again, the scenery on the way was beautiful. Sometimes you would almost think that the whole country of Laos is just one big nature reservoir.
After arriving in the town, I walked with the guy who had been helping me to some small restaurant, and in front of this restaurant he stopped. Here the bus would come, he said. That was strange, there was no bus stop signal or whatsoever. I went to the toilet at the restaurant, and bought a bottle of water.
Soon, there really came a bus. And this time it was a real bus too. I could now finally feel at rest. Apparently it would take around 5 hours from here to get to Thakhek. Would be funny if I would arrive earlier then my backpacker friends!
On the way to Thakhek.
While staying at a village in the middle of nowhere completely away from society, I realized that I had no cash on myself. Of course, the village had no bank. Now how was I going to get back to the world without being able to pay for the bus!?
Luckily though, I met a group of backpackers who were traveling on bikes. They said they would take me on their back. When I told them that I have a huge backpack of at least 20 kilogram and a paddle on me, they seemed to regret their kindness. But, once nice, always nice. Thank you guys.
By the way, in the end I was able to exchange money with a local guy. He was a big money collector, and was very delighted to see all the currencies I had in my wallet. Japanese Yen, Euro's, Taiwanese Dollars, Chinese Yuan, Korean Won. In the end the guy chose for Euro's. It always feels good to have some money on you again and make someone happy at the same time!
But, even though I now had money on me, the backpackers were still friendly enough to take me on their back anyway. One of them took me with my paddle in my hands, another one took my backpack. It looked pretty tough to have that backpack on your back while driving, but the guy said it was nothing.
We started our journey at around 1 o'clock. At first there seemed to be no problem. While enjoying the magnificent scenery (mountains, rivers, locals, cows, dogs) I had a talk with the American guy who was riding the bike. But soon, it started to rain and far away we could hear and see huge thunders. The guy who was carrying my backpack told me that it was heavier than he had expected, and that he was not able to steer very carefully with the thing on its back. Thus, the backpackers decided to drop me off at the next small town. There was a bus stop there, so I could take the bus.
I was heading to a place called Thakhek, and asked the guy at the bus stop when my bus would arrive.
"Tomorrow!" the guy said.
Great, now I have to stay all alone in this village with nothing to do for one whole more day. I didn't want to give up. With my backpack, I walked the roads in hope to find a good place to hitchhike. But no luck. Around this area, hardly any cars pass by, and if they do, they do so to drive just around the corner, not to go all the way to 200 kilometer far away Thakhek.
I walked back to the bus stop. A guy was sitting there, apparently waiting for a bus to come.
"Where are you going?" he asked me in decent English.
"Thakhek"
"Then come with me, I am heading there too."
Although there was no bus to Thakhek, the guy explained that there was a small bus heading towards another town, and that we could change to Thakhek from there.
It was a friendly guy who seemed well educated. He was working in this town as an accountant (it surprised me accountants exist in a place like this), but he was originally from a small town in the south. Thakhek is on the way there.
When the bus arrived, it turned out to be no bus. It was just a Took-took. But that didn't matter as long as it took us to where we had to go! On the way, some guys joined and took their motorcycle on board.
There was now hardly any space left to sit and we would all have to hold the bike to prevent it to fall.
Again, the scenery on the way was beautiful. Sometimes you would almost think that the whole country of Laos is just one big nature reservoir.
After arriving in the town, I walked with the guy who had been helping me to some small restaurant, and in front of this restaurant he stopped. Here the bus would come, he said. That was strange, there was no bus stop signal or whatsoever. I went to the toilet at the restaurant, and bought a bottle of water.
Soon, there really came a bus. And this time it was a real bus too. I could now finally feel at rest. Apparently it would take around 5 hours from here to get to Thakhek. Would be funny if I would arrive earlier then my backpacker friends!
2012年4月12日木曜日
コンロー洞窟とその周囲
April 11, 2012.
コンロー洞窟とその周囲
ラオスの首都、ビエンチャンからバスに乗り、約6時間で到着したのが、コンロ洞窟の付近にある小さな村だった。数件のゲストハウスと地元の民家と畑を除けば、そこはまったく何もない大自然だった。インターネットもなければ銀行もない。バーもなければコンビニもない。だが、これこそまさに僕の求めているものだった。美しいとんがり山たちがまるで村を外界から隔てるためきれいに囲んでいた。
ところが、この村で過ごしていると、ちっとも孤独になることはない。村人はみんな親切で、通り過ぎると本物の笑顔を浮かべて挨拶する。また、コンロー洞窟を見に来た外国人も多いため、みんなで食事が来るまで数時間かかる「のんびり食堂」で話したりした。
コンロー洞窟とは、7キロの長い洞窟で、小船で入り、反対側に出る。洞窟の入り口の前に広がる湖は絶妙な光景で、まるで泳ぎなさいとでも誘っているかのように美しかった。
本当は3人で小船に乗ると一番安いが、僕はSさんと二人で来ていたし、しばらく待っても一人だけできた物好きなヤツは現れなかったので、仕方なく二人で入ることに。
僕が今まで入った洞窟はどれも中がライトアップされていたり、観光客が変なまねをしないように柵があったりと、いわゆる人工的な洞窟だったわけだが、一部ライトアップされているところがあったとはいえ、コンロー洞窟は一応本物の洞窟という呼び名にふさわしいものだったと思う。
特徴としては、洞窟の中に川が流れていることが挙げられるが、途中で浅くなって一度降りて船を深いところまで押さなければならないことがたびたびあった。そうすると、二人のガイドはラオス語で何かを叫びながら力強く押したので、僕はSさんと二人でその叫び声をまねして押すのを手伝った。
途中でワニの形をした岩があったり、人の腕のような形をした木の枝があったりと、一瞬鳥肌が立つような光景も少なくなかった。ガイドの懐中電灯がもしもなければ、この真っ暗な空間はきっと想像を絶するほど怖いのに違いない。
漸く洞窟を抜けると、そこにはとても美しい川景色が続いていた。色鮮やかな蝶々が、トロピカルな植物の上で体を休めていた。
数頭の水牛は気持ちよさそうに水浴びをしていた。その付近に船を泊めて休憩すると、僕はさっそく水に飛び込んで水牛と一緒に泳いだ。しかし、近づきすぎると警戒するので、一定の距離をおかなくてはならない。遠くから眺めていると、牛も実は意外に可愛い顔をしているんだなと思った。
帰りはまた同じように船で洞窟に入り、途中で船を降りたりしながら進んだ。出発して約2時間後に漸くまた反対側に戻ってくると、僕らはもう一度湖に飛び込んだ。一人の村人が全身に石鹸をかけてから気持ちよさそうに水浴びをしていた。
村に戻ってくると、大きなトラックが到着していた。村の一週間分のビールらしい。そうだ、たとえこんな田舎でも、ビールがないと生きていけないのだ。
コンロー洞窟とその周囲
ラオスの首都、ビエンチャンからバスに乗り、約6時間で到着したのが、コンロ洞窟の付近にある小さな村だった。数件のゲストハウスと地元の民家と畑を除けば、そこはまったく何もない大自然だった。インターネットもなければ銀行もない。バーもなければコンビニもない。だが、これこそまさに僕の求めているものだった。美しいとんがり山たちがまるで村を外界から隔てるためきれいに囲んでいた。
ところが、この村で過ごしていると、ちっとも孤独になることはない。村人はみんな親切で、通り過ぎると本物の笑顔を浮かべて挨拶する。また、コンロー洞窟を見に来た外国人も多いため、みんなで食事が来るまで数時間かかる「のんびり食堂」で話したりした。
コンロー洞窟とは、7キロの長い洞窟で、小船で入り、反対側に出る。洞窟の入り口の前に広がる湖は絶妙な光景で、まるで泳ぎなさいとでも誘っているかのように美しかった。
本当は3人で小船に乗ると一番安いが、僕はSさんと二人で来ていたし、しばらく待っても一人だけできた物好きなヤツは現れなかったので、仕方なく二人で入ることに。
僕が今まで入った洞窟はどれも中がライトアップされていたり、観光客が変なまねをしないように柵があったりと、いわゆる人工的な洞窟だったわけだが、一部ライトアップされているところがあったとはいえ、コンロー洞窟は一応本物の洞窟という呼び名にふさわしいものだったと思う。
特徴としては、洞窟の中に川が流れていることが挙げられるが、途中で浅くなって一度降りて船を深いところまで押さなければならないことがたびたびあった。そうすると、二人のガイドはラオス語で何かを叫びながら力強く押したので、僕はSさんと二人でその叫び声をまねして押すのを手伝った。
途中でワニの形をした岩があったり、人の腕のような形をした木の枝があったりと、一瞬鳥肌が立つような光景も少なくなかった。ガイドの懐中電灯がもしもなければ、この真っ暗な空間はきっと想像を絶するほど怖いのに違いない。
漸く洞窟を抜けると、そこにはとても美しい川景色が続いていた。色鮮やかな蝶々が、トロピカルな植物の上で体を休めていた。
数頭の水牛は気持ちよさそうに水浴びをしていた。その付近に船を泊めて休憩すると、僕はさっそく水に飛び込んで水牛と一緒に泳いだ。しかし、近づきすぎると警戒するので、一定の距離をおかなくてはならない。遠くから眺めていると、牛も実は意外に可愛い顔をしているんだなと思った。
帰りはまた同じように船で洞窟に入り、途中で船を降りたりしながら進んだ。出発して約2時間後に漸くまた反対側に戻ってくると、僕らはもう一度湖に飛び込んだ。一人の村人が全身に石鹸をかけてから気持ちよさそうに水浴びをしていた。
村に戻ってくると、大きなトラックが到着していた。村の一週間分のビールらしい。そうだ、たとえこんな田舎でも、ビールがないと生きていけないのだ。
2012年4月10日火曜日
Buddha park
April 9, 2012.
Buddha park
It has been a long time since I last did something really touristic, but in the capital of Laos, Vientiane my friend Shinji said he wanted to visit the famous Buddha park before we would leave the city.
A small bus full of locals took us to the suburbs of Vientiane. It didn't look like the capital of a country at all. Actually, it didn't even look like a city, so rural it was.
After seeing many temples, churches, castles and more for the last 7 months, I find it harder and harder to enjoy historical sites, but the Buddha park was an exception. It is basically a park full of Buddhistic statues, but these are so absurd, sadistic and just plain weird that even I was fascinated. That religion can do a lot to people I know, but that it can make people this crazy, is almost unimaginable. What in earth could they have been thinking!?
A lady with different weapons in each of her more then 20 hands, sitting on a cow while resting her feet on a guy lying suffuring on the ground. Anyone interested?
An elephant with 4 heads, and thus 4 trunks having a guy standing on top of it with a disgusting smile on his face?
Or how about a thick snake with a huge claw in the middle that is trying to tear a poor little Buddha into pieces?
A Buddha statue with 4 heads and skulls above it with a little boy on each of its many palms also is far above my imagination.
It was a visit that made me realize how insane people can be.
In front of the big resting Buddha that made us think of the Sagat Stage in Street Fighter 2, I had a good fight with Shinji. Yes, insanity makes people insane!
Buddha park
It has been a long time since I last did something really touristic, but in the capital of Laos, Vientiane my friend Shinji said he wanted to visit the famous Buddha park before we would leave the city.
A small bus full of locals took us to the suburbs of Vientiane. It didn't look like the capital of a country at all. Actually, it didn't even look like a city, so rural it was.
After seeing many temples, churches, castles and more for the last 7 months, I find it harder and harder to enjoy historical sites, but the Buddha park was an exception. It is basically a park full of Buddhistic statues, but these are so absurd, sadistic and just plain weird that even I was fascinated. That religion can do a lot to people I know, but that it can make people this crazy, is almost unimaginable. What in earth could they have been thinking!?
A lady with different weapons in each of her more then 20 hands, sitting on a cow while resting her feet on a guy lying suffuring on the ground. Anyone interested?
An elephant with 4 heads, and thus 4 trunks having a guy standing on top of it with a disgusting smile on his face?
Or how about a thick snake with a huge claw in the middle that is trying to tear a poor little Buddha into pieces?
A Buddha statue with 4 heads and skulls above it with a little boy on each of its many palms also is far above my imagination.
It was a visit that made me realize how insane people can be.
In front of the big resting Buddha that made us think of the Sagat Stage in Street Fighter 2, I had a good fight with Shinji. Yes, insanity makes people insane!
2012年4月6日金曜日
ムエラオ
April 5, 2012.
ムエラオ
ふと思いついて、仲良くなったラオス人に「ラオスにもムエタイはあるのか?」と聞いてみた。
そんな彼は激しく頭を横に振り、言った。「ムエタイじゃなくて、ムエラオがあるんだよ! 」と。
だけど、ムエタイのように根強い人気もないし、首都のビエンチャンでしかできないらしい・・・。
ということで、ビエンチャンに着いて、せっかくだから探してみようと思ったわけだが、見つかるのに丸一日かかり、やっと見つけた頃にはもう夕方だった。
中年のお腹の出たコーチと、のんびりと椅子に座っている奥さんと、息子さんらしい少年二人と、それから一人の外国人の選手とそのトレーナーがいるだけだった。
日本で空手をやっていて、世界を周りながらいろんな格闘技に触れたいという旨を伝えたが、 伝わらなかったらしく「ノーノー、ここは空手の道場じゃないよ」と言われた。
もう一度ゆっくり説明して、やっとわかってくれたらしい。
「いいけど、ここでやるのは、空手じゃなくて、ムエラオだよ!?」
「はい、それでけっこうです」
空手と聞くと、少年たちはブルースリーらしき声をまねしながら、飛び蹴りをしたり空手チョップを出したりしはじめた。空手がこの国でいかに普及していないか、よくわかった。
「一緒に練習できますか?」ともう一度聞くと、コーチはいいよと言い、さり気なく更衣室まで案内してくれた。今からすぐに練習をやろうということらしい。
短パンとTシャツという格好で戻ると、最初は10分間縄跳びをやらされた。縄跳びをやりなれていないし、プラシチック製の縄が足に当たると痛くて悲鳴を上げそうになるほどだった。それに、運動不足だったからか、息もすぐに上がるし、ふくらはぎに疲労がたまるのを感じた。
終わると次はサンドバック。これも5分3ラウンドという長さ。暑いからTシャツを脱ぐように言われて、上半身裸で行うことになった。しかしなんと、自分でも気づいていなかったが、運動もろくにしないでいろんな国の名物を食べているうちにぶくぶく太ったみたいで、腹が出ており脂肪の割れ目の線が三つ重ねになっていた。世界を周っていろんな格闘技に触れるんだって、何いい気になってるのか!? きちんと体を鍛えておいてからカッコいいことを言ってよね、って自分に言いたくなった。そして、これからはもう少し体力を整えて、ダイエットもしょうと自分に誓った。
それはそうと、かなり暑いし、空手の息上げのペースでサンドバックを叩き始めたら、すぐに疲れてしまった。しかし、それでもあきらめずに根性だけで声を出しながら技を出し続けていると、コーチにとめられてしまった。ムエラオでは手数を意識するのではなく、一つのコンビネーションか単発でもいいから、とにかく力とスピードを意識するらしい。後ろ廻し蹴りを出したりすると、そんなばかばかしい技をやめて、ヒジやヒザを出すように注意された。
なんとか5分3ラウンドを終えると、今度はリングに上がった。リングに上がるのは、これが人生はじめてだった。カッコよく間から入るなんて意外に難しく、転びそうになった。
コーチにミットをもってもらい、これも5分間3ラウンドをやらされて、技やコンビネーションを指定されて蹴ったり突いたりした。新鮮なのは、ヒジ打ちの4連打だった。左右の横からのヒジ打ちの後に、同じ手でまずはヒジの打ち上げから今度は飛びながら相手の額を狙って打ち下ろす。
へとへとのところで腹筋を行い、その日の練習が終わった。
1時間少々の運動だが、暑いし普段練習していないから、異常なほどにたくさん汗が出た。
水のシャワーをあびてから帰ろうとすると、お金を払うようにと言われた。いくらなのかと聞くと、なんと700円もするらしい。ラオスにしては高いなーと思ったが、いろんなことを教えてもらったから悔いはなかった。そして、涼しい顔で30分の帰り道をレンタルの自転車で走って帰った。
翌日は一緒に旅をしている日本人のSさんとKさんが見学ということで一緒に来てくれた。この日のメニューも似たものだった。縄跳びから入り、次はシャドーを行い、その後はTシャツを脱いでサンドバック。そして、最後はリングに上がってミットの打ち蹴りこみ。
途中からラオス人のタイでもチャンピオンになったという選手と、ラオスに住んでいるフランス人の選手が来た。
二人がパンチだけのスパーリングをやっているのを見るとうらやましくなり、自分もやっていいですかとつい聞いてしまった。そうやって、ラオス人の選手と軽い手だけのスパーリングを行うことになった。
これぞ異種格闘技戦! と言いたいところだが、蹴りが出せないし軽くだから限界がある。蹴りもありでできないかと聞くと、体重差がありすぎるから危険だということで断られた。その答えに、少し疑問を持たないわけにはいかなかった。格闘技というのは、本来誰と戦っても負けないためにあるはずだ。なのに、体重が違うということで戦いが成立しないのならば、自分より背が高い人や重い人との戦い方も覚えないのではないか。非常に狭いパターンの戦い方しか覚えない。そういう意味では、体重無差別の極真ってすばらしいと改めて実感した。そして、多くの実戦を経験し体を鍛えた緑健児のような選手が大きい外国人選手を倒すのってやっぱりすばらしいことだと思った。いくら強くても、ムエラオやムエタイの選手はあくまでも自分と同じ大きさの人と戦って強いだけだ。
とはいえ、僕が戦った選手は技術レベルが高かったし、体力もあり根性もある良い選手だった。一緒にスパーリングして、非常に勉強になった。
帰りにまたお金を払ったが、なぜか前日より100円高くなっていた。スパーリング代だろうか? まあいいだろう、貴重な経験はお金で買えるものではないのだ。
ムエラオ
ふと思いついて、仲良くなったラオス人に「ラオスにもムエタイはあるのか?」と聞いてみた。
そんな彼は激しく頭を横に振り、言った。「ムエタイじゃなくて、ムエラオがあるんだよ! 」と。
だけど、ムエタイのように根強い人気もないし、首都のビエンチャンでしかできないらしい・・・。
ということで、ビエンチャンに着いて、せっかくだから探してみようと思ったわけだが、見つかるのに丸一日かかり、やっと見つけた頃にはもう夕方だった。
中年のお腹の出たコーチと、のんびりと椅子に座っている奥さんと、息子さんらしい少年二人と、それから一人の外国人の選手とそのトレーナーがいるだけだった。
日本で空手をやっていて、世界を周りながらいろんな格闘技に触れたいという旨を伝えたが、 伝わらなかったらしく「ノーノー、ここは空手の道場じゃないよ」と言われた。
もう一度ゆっくり説明して、やっとわかってくれたらしい。
「いいけど、ここでやるのは、空手じゃなくて、ムエラオだよ!?」
「はい、それでけっこうです」
空手と聞くと、少年たちはブルースリーらしき声をまねしながら、飛び蹴りをしたり空手チョップを出したりしはじめた。空手がこの国でいかに普及していないか、よくわかった。
「一緒に練習できますか?」ともう一度聞くと、コーチはいいよと言い、さり気なく更衣室まで案内してくれた。今からすぐに練習をやろうということらしい。
短パンとTシャツという格好で戻ると、最初は10分間縄跳びをやらされた。縄跳びをやりなれていないし、プラシチック製の縄が足に当たると痛くて悲鳴を上げそうになるほどだった。それに、運動不足だったからか、息もすぐに上がるし、ふくらはぎに疲労がたまるのを感じた。
終わると次はサンドバック。これも5分3ラウンドという長さ。暑いからTシャツを脱ぐように言われて、上半身裸で行うことになった。しかしなんと、自分でも気づいていなかったが、運動もろくにしないでいろんな国の名物を食べているうちにぶくぶく太ったみたいで、腹が出ており脂肪の割れ目の線が三つ重ねになっていた。世界を周っていろんな格闘技に触れるんだって、何いい気になってるのか!? きちんと体を鍛えておいてからカッコいいことを言ってよね、って自分に言いたくなった。そして、これからはもう少し体力を整えて、ダイエットもしょうと自分に誓った。
それはそうと、かなり暑いし、空手の息上げのペースでサンドバックを叩き始めたら、すぐに疲れてしまった。しかし、それでもあきらめずに根性だけで声を出しながら技を出し続けていると、コーチにとめられてしまった。ムエラオでは手数を意識するのではなく、一つのコンビネーションか単発でもいいから、とにかく力とスピードを意識するらしい。後ろ廻し蹴りを出したりすると、そんなばかばかしい技をやめて、ヒジやヒザを出すように注意された。
なんとか5分3ラウンドを終えると、今度はリングに上がった。リングに上がるのは、これが人生はじめてだった。カッコよく間から入るなんて意外に難しく、転びそうになった。
コーチにミットをもってもらい、これも5分間3ラウンドをやらされて、技やコンビネーションを指定されて蹴ったり突いたりした。新鮮なのは、ヒジ打ちの4連打だった。左右の横からのヒジ打ちの後に、同じ手でまずはヒジの打ち上げから今度は飛びながら相手の額を狙って打ち下ろす。
へとへとのところで腹筋を行い、その日の練習が終わった。
1時間少々の運動だが、暑いし普段練習していないから、異常なほどにたくさん汗が出た。
水のシャワーをあびてから帰ろうとすると、お金を払うようにと言われた。いくらなのかと聞くと、なんと700円もするらしい。ラオスにしては高いなーと思ったが、いろんなことを教えてもらったから悔いはなかった。そして、涼しい顔で30分の帰り道をレンタルの自転車で走って帰った。
翌日は一緒に旅をしている日本人のSさんとKさんが見学ということで一緒に来てくれた。この日のメニューも似たものだった。縄跳びから入り、次はシャドーを行い、その後はTシャツを脱いでサンドバック。そして、最後はリングに上がってミットの打ち蹴りこみ。
途中からラオス人のタイでもチャンピオンになったという選手と、ラオスに住んでいるフランス人の選手が来た。
二人がパンチだけのスパーリングをやっているのを見るとうらやましくなり、自分もやっていいですかとつい聞いてしまった。そうやって、ラオス人の選手と軽い手だけのスパーリングを行うことになった。
これぞ異種格闘技戦! と言いたいところだが、蹴りが出せないし軽くだから限界がある。蹴りもありでできないかと聞くと、体重差がありすぎるから危険だということで断られた。その答えに、少し疑問を持たないわけにはいかなかった。格闘技というのは、本来誰と戦っても負けないためにあるはずだ。なのに、体重が違うということで戦いが成立しないのならば、自分より背が高い人や重い人との戦い方も覚えないのではないか。非常に狭いパターンの戦い方しか覚えない。そういう意味では、体重無差別の極真ってすばらしいと改めて実感した。そして、多くの実戦を経験し体を鍛えた緑健児のような選手が大きい外国人選手を倒すのってやっぱりすばらしいことだと思った。いくら強くても、ムエラオやムエタイの選手はあくまでも自分と同じ大きさの人と戦って強いだけだ。
とはいえ、僕が戦った選手は技術レベルが高かったし、体力もあり根性もある良い選手だった。一緒にスパーリングして、非常に勉強になった。
帰りにまたお金を払ったが、なぜか前日より100円高くなっていた。スパーリング代だろうか? まあいいだろう、貴重な経験はお金で買えるものではないのだ。
2012年4月1日日曜日
Op zoek naar Muay Lao
Written on April 1, 2012.
Ik had gehoord dat er in Laos een variant op Muay Thai (Thai's kickboxen) bestaat. De naam verklapt het ook wel een beetje; Muay Lao. Een grote vechtsport was het niet, maar in de hoofdstad van het land, Vientiane zou het beoefend kunnen worden. Zo was ik met mijn vriend Shinji op een dag op het idee gekomen om dan maar eens een plek te gaan zoeken waar dat kon.
"Weet u in de buurt een plek waar er aan Muay Lao gedaan word?" vroegen we bij de receptie van het hotel.
"Wat!? Wilt u Beer Lao drinken?"
We maakte wat stootgebaren in de lucht en zeiden het nog een keer.
"Aah, Muay Lao!" begreep de man van de receptie.. "Dat kan ergens dichtbij de triomfboog"
We probeerde in de straat fietsen te huren om naar de triomfboog van Vientiane te gaan. Na twee mislukte pogingen, begonnen we bang te worden dat alle fietsen in de stad al verhuurd waren.
"We moeten hoop blijven houden!" zei Shinji, en samen liepen we door de straten terwijl we "Bycicle race" van Queen zongen.
Uiteindelijk hadden we geluk en was er toch nog een plek waar fietsen over waren. Dit waren overigens duidelijk gestolen fietsen, omdat de Japanse registratiecode's er nog opstonden.
Eenmaal bij de triomfboog aangekomen, vroegen we ergens een visboer of hij wist waar we moesten zijn. Weer was het nodig eerst vuistbewegingen te maken voor we begrepen werden. De man wees ons naar een markt. Dat was een drukke plek en het zag er al iets localer uit. Hier zou inderdaad wel eens een Muay Lao gym kunnen zijn. Maar toch, als je niet precies weet waar je moet zijn, is het een onbegonnen taak.
We vroegen het nog eens aan een man. Die wees ons weer een eind verder. Zo vroegen we het nog een tijd door tot we uiteindelijk na veel fietsen bij een badminton club aankwamen. Dit was niet precies wat we zochten.
Gelukkig had Shinji een kaart bij zich en konden we hierop kijken of er nergens een hint stond. Er bleek een Budo (Japanse vechtsport) Centre te zijn. Als we daar nu eens heen gingen en het vroegen, wisten die mensen daar vast wel antwoord. Dat was nog een klein half uur fietsen, maar toen we eindelijk aankwamen zagen we de Japanse vlag naast die van Laos levendig wieperen.
We liepen naar binnen en vroegen weer om Muay Lao. Hier werkte het natuurlijk niet om stootbewegingen te maken, want dan dacht iedereen meteen dat we kwamen voor een Karate-les.
Er was echter een jongen die goed Engels sprak, en ons de weg naar een fitness-centrum wees waar ook aan Muay Lao gedaan zou worden. Dit was echter weer helemaal de andere kant op, maar na veel vragen en een eind fietsen kwamen we ook hier succesvol aan. Dit was echter gewoon een modern fitness centrum. Niets leek erop dat er hier ook aan Muay Lao gedaan zou kunnen worden. Het rook er gewoonweg niet naar. Toch waagde we het maar om het bij de receptie te vragen, maar die bespottelijke vraag werdt meteen afgewezen.
We gingen maar naar huis. Het was een beter idee om eerst op het internet te gaan zoeken waar we heen moesten. Gelukkig is Shinji ook een jongen die van dit soort zoektochten houdt, en had hij tot het eind een goed humeur. Maar, terug bij het hotel leek hij wel moe en zei hij dat hij even ging rusten. In de tussentijd vond ik op het internet een plek waar zeker aan Muay Lao gedaan zou worden. Ik noteerde het adres en de richting, en ging naar de kamer om dit aan Shinji te melden.
"Ga jij maar alleen, ik ben bek af!"
Het was ook al bijna 5 uur.
Ik fietste de weg die ik had opgezocht. Ik kwam langs veel tempels, restaurants en zelfs na een poos langs het vliegveld, waarvan de ingang overigens niet meer dan dat van een bus-station leek. Na het vliegveld gepasseerd te zijn, werdt het steeds localer. Marktstraatjes met kippen die klaarstonden om verkocht te worden terwijl ze door straathonden werden aangestaard aslof het oerang-oetans waren in de dierentuin. Ik moest ergens een zijstraatje nemen, waar het in een ongeplaveide weg veranderde. Nu werdt het wel erg landelijk.
Langs rijstvelden fietste ik door, totdat ik eindelijk het geluid van een zandzak hoorde. Daar was het! Ik stopte mijn fiets voor de gym en liep naar binnen.
Na me voorgesteld te hebben en verteld te hebben dat ik graag een paar dagen mee zou doen, werd ik meteen naar de kleedkamer gewezen. De pret kon nu al beginnen!
Ik had gehoord dat er in Laos een variant op Muay Thai (Thai's kickboxen) bestaat. De naam verklapt het ook wel een beetje; Muay Lao. Een grote vechtsport was het niet, maar in de hoofdstad van het land, Vientiane zou het beoefend kunnen worden. Zo was ik met mijn vriend Shinji op een dag op het idee gekomen om dan maar eens een plek te gaan zoeken waar dat kon.
"Weet u in de buurt een plek waar er aan Muay Lao gedaan word?" vroegen we bij de receptie van het hotel.
"Wat!? Wilt u Beer Lao drinken?"
We maakte wat stootgebaren in de lucht en zeiden het nog een keer.
"Aah, Muay Lao!" begreep de man van de receptie.. "Dat kan ergens dichtbij de triomfboog"
We probeerde in de straat fietsen te huren om naar de triomfboog van Vientiane te gaan. Na twee mislukte pogingen, begonnen we bang te worden dat alle fietsen in de stad al verhuurd waren.
"We moeten hoop blijven houden!" zei Shinji, en samen liepen we door de straten terwijl we "Bycicle race" van Queen zongen.
Uiteindelijk hadden we geluk en was er toch nog een plek waar fietsen over waren. Dit waren overigens duidelijk gestolen fietsen, omdat de Japanse registratiecode's er nog opstonden.
Eenmaal bij de triomfboog aangekomen, vroegen we ergens een visboer of hij wist waar we moesten zijn. Weer was het nodig eerst vuistbewegingen te maken voor we begrepen werden. De man wees ons naar een markt. Dat was een drukke plek en het zag er al iets localer uit. Hier zou inderdaad wel eens een Muay Lao gym kunnen zijn. Maar toch, als je niet precies weet waar je moet zijn, is het een onbegonnen taak.
We vroegen het nog eens aan een man. Die wees ons weer een eind verder. Zo vroegen we het nog een tijd door tot we uiteindelijk na veel fietsen bij een badminton club aankwamen. Dit was niet precies wat we zochten.
Gelukkig had Shinji een kaart bij zich en konden we hierop kijken of er nergens een hint stond. Er bleek een Budo (Japanse vechtsport) Centre te zijn. Als we daar nu eens heen gingen en het vroegen, wisten die mensen daar vast wel antwoord. Dat was nog een klein half uur fietsen, maar toen we eindelijk aankwamen zagen we de Japanse vlag naast die van Laos levendig wieperen.
We liepen naar binnen en vroegen weer om Muay Lao. Hier werkte het natuurlijk niet om stootbewegingen te maken, want dan dacht iedereen meteen dat we kwamen voor een Karate-les.
Er was echter een jongen die goed Engels sprak, en ons de weg naar een fitness-centrum wees waar ook aan Muay Lao gedaan zou worden. Dit was echter weer helemaal de andere kant op, maar na veel vragen en een eind fietsen kwamen we ook hier succesvol aan. Dit was echter gewoon een modern fitness centrum. Niets leek erop dat er hier ook aan Muay Lao gedaan zou kunnen worden. Het rook er gewoonweg niet naar. Toch waagde we het maar om het bij de receptie te vragen, maar die bespottelijke vraag werdt meteen afgewezen.
We gingen maar naar huis. Het was een beter idee om eerst op het internet te gaan zoeken waar we heen moesten. Gelukkig is Shinji ook een jongen die van dit soort zoektochten houdt, en had hij tot het eind een goed humeur. Maar, terug bij het hotel leek hij wel moe en zei hij dat hij even ging rusten. In de tussentijd vond ik op het internet een plek waar zeker aan Muay Lao gedaan zou worden. Ik noteerde het adres en de richting, en ging naar de kamer om dit aan Shinji te melden.
"Ga jij maar alleen, ik ben bek af!"
Het was ook al bijna 5 uur.
Ik fietste de weg die ik had opgezocht. Ik kwam langs veel tempels, restaurants en zelfs na een poos langs het vliegveld, waarvan de ingang overigens niet meer dan dat van een bus-station leek. Na het vliegveld gepasseerd te zijn, werdt het steeds localer. Marktstraatjes met kippen die klaarstonden om verkocht te worden terwijl ze door straathonden werden aangestaard aslof het oerang-oetans waren in de dierentuin. Ik moest ergens een zijstraatje nemen, waar het in een ongeplaveide weg veranderde. Nu werdt het wel erg landelijk.
Langs rijstvelden fietste ik door, totdat ik eindelijk het geluid van een zandzak hoorde. Daar was het! Ik stopte mijn fiets voor de gym en liep naar binnen.
Na me voorgesteld te hebben en verteld te hebben dat ik graag een paar dagen mee zou doen, werd ik meteen naar de kleedkamer gewezen. De pret kon nu al beginnen!
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